往復書簡15

今村さんはたぶん展覧会で忙しくされていると思うのでぼくの方の近況をさらに書くことにしました。

前回は、鎮痛剤の副反応に悩んでいるというようなところで終わっていたかと思います。その続きのようなテキストをぼくのブログで発表しています。

https://mitsushima-art.jimdofree.com/2023/08/22/点字キーホルダーを磨く/

今回はこのブログの続編という感じで書きました。相変わらず病気自慢の話が続くのでそういうのがイヤな方は読みとばして次回の今村さんからの返信をお読みください。

8月の10日ぐらいで頸の方は一段落した感じがあったのですが、次は泌尿器の方にトラブルが出てきました。尿閉です。おしっこが出なくなったのです。

以前から前立腺の肥大は医者からも指摘されていて頻尿に対する薬も服用していました。ところがどういう加減か、お盆のあたりからおしっこが出にくくなって16日には完全に止まってしまいました。泌尿器科に緊急で見てもらうことになり、そのままカテーテルを挿入して導尿することになったのですが、細い尿道に逆行して管を入れるのがなかなかつらくて、医者に、

「ちょっとつらいですが、がんばってください」と言われても腹式呼吸をしても、つらさのため、大きな声を出していました。たぶん痛みにはそうとう弱いのだろうと思います。

それから1ヶ月あまりカテーテルにつながれた生活を続けました。

その間、一度カテーテルを抜いてみたこともあったのですが、また逆戻りでした。何度もカテーテルを挿入するというのは、ぼくにとってはかなりつらい経験でした。

この管にずっとつながれたままなのだろうかという不安が頭を過ぎったこともありました。

しかし、9月20日に、水を200ccほどを膀胱に入れて、いったんそれを我慢してから自力で排泄するというテストに合格して、無事カテーテルを外すことができて、今は元通りの生活を送れるようになったというわけです。

ところが問題は、首の時と同じように薬の副反応です。痛みに過敏なのと同じ程度に薬に対しても過敏なのでしょう。

尿道の平滑筋をゆるめておしっこが出やすくする薬と前立腺を小さくする薬を飲んでいるのですが、どうも排尿を促進する薬の副反応でふらつきや頻脈、血圧上昇などの症状が出てきました。

10月1日の「まなざしの傍ら」でのトークイベントをドタキャンしたのは最悪でした。血圧が200にもなっていたので、まあ仕方なかったのですが、体調を整えて、この間の病気ネタも織り交ぜてお話もできると思っていたのですが、残念でなりません。

今は、薬を別のものに替えてもらって少し体も楽になり、蓄尿の能力も回復してきています。

いろいろ不安になっていた9月の始めに読んだ本で、「前立腺歌日記」 四元康祐というのがあります。著者は、ドイツ・ミュンヘン在住の詩人ですね。ドイツで前立腺がんの宣告を受け、手術、リハビリを語った闘病小説なのですが、所々に詩が挿入されています。自作のものもあるのですが、ご本人が学生時代に愛読していた中原中也の詩の一説もかなり頻繁に出てきます。

前立腺をキーワードにいろんな検索をして見つけた一冊だったのですが、読んでいるときには前立腺の切除術も覚悟していたのでがんの手術の場面は衝撃的でした。著者が感じていることはその通りだと思いつつ、病気に対する我慢強さと気持ちの切り替えの早さにはついていけないものを感じながら読んでいました。こんな手術を受けるときには、体への負担はあるだろうけど全身麻酔でなければ耐えられないよなぁと思ったりして読んでいました。このごろの手術は、局所麻酔だと患者さん自身がモニターで手術の様子を見ながら進められることも多いようですね。ぼくの場合はそんなもの見せられてもどうしようもないですよね。誰かに画面説明をしてもらうなんてこと可能なんでしょうか。そういうことも合理的配慮の内に組み込まれているのかどうか、一度聞いておく必要ありです。

全身麻酔は小学校の2年生後半に目の手術で何度も経験しています。たぶん今より身体へのダメージは強くて、麻酔が覚めるときには、むかつきで何度も嘔吐していたのを思い出します。それでもあの吸いこまれていくような意識喪失は、今から思えば心地よい快感だったかとも思ったりします。死を迎えるときの意識喪失が全身麻酔のようであればいいなぁとも思います。

それにしても、「前立腺歌日記」を読んでいると他の前立腺治療に関する本を読んでいるよりは、ずっと気持ちが楽になったのはなぜなのか今でも不思議な感じです。

たぶん、こういう治療がお勧めだとか、治療の仕方を解説されているより、本人の気持ちの移り変わりを追体験する方が癒やしという言葉は使いたくないですが、なぜか寄り添ってくれる感じがあったのかなぁと思っています。

今の心境はというと、前立腺を削り取る手術は、レーザーで行い、全身麻酔だと知って少し安心しています。がんの場合は術式が違うのでよくわかりませんが。

そして前立腺肥大の治療が10年前とはかなり変わってきていて、薬中心でかなりいけそうだと言うことです。

整形外科的な部分は、鍼の治療をしていても実際に患者さんに触れることも多くて、ぼく自身もある程度の知識があると思うのですが、泌尿器に関しては、ほとんど医学的な知識は2010年ぐらいのところで止まっていたように思います。

次回の通院でMRIを撮ります。その結果でがんの可能性が排除できるといいのですが。

最後に笑ってしまうような話をもう1つ。トークイベントが始まる直前ぐらいですが、何とブリッジにしていた前歯の4本分が抜けてしまいました。根っこがダメになっているということで、それらは入れ歯となります。なのでまだしばらくはマスクでごまかしておくことにします。それにしても悪いことが続きます。男の厄年っていくつだっただろうかと調べてみましたが、まったく関係ありませんでした。

老いとは、いろんな病気が全快しないうちに次の病が発病して蓄積していく状態だと思っています。

まさにその老いが始まったわけですね。

今一番怖れているのは尿閉ですが、その原因はハッキリわかっていません。

アルコール・一部の風邪薬・抗アレルギー薬・カフェインも影響するとか言われていますが、心当たりがありません。酒は止めています。珈琲は毎朝飲む習慣ですが、これは止められず。

酒を止めてしまうのはつらいです。酒に何を求めているのか。酔って人との関係が近くなる。全能感というか、多幸感を得たい。大勢の人と何となく過ごす場に定着できる。などなど、あまりどうでもいいようなことばかりなのですが、たぶんこのどうでもいいことが重要なのでしょう。そうでないとほんとうに孤独を愛する時間がますます増えていくように思います。

光島貴之