往復書簡13

展覧会、無事に終わりました。その後、間隔を開けつつもこの往復書簡は続けようと言っておきながら、だいぶ間があいてしまってすみません。

光島さんの点字のタイプライター「パーキンス」にまつわる学生時代の話は少年・青年時代の光島さんがリアルに感じられて、とても面白かったです。読みながら僕も自分の学生時代の学園祭のことなど思い出していました。でも、学園闘争は時代を感じますね。さて、僕は何を書こうかなと考えあぐねていましたが、最近のことを書きます。ゴールデンウィークに横浜での展覧会に参加してきました。連休期間のみの会期の短い展覧会で、参加アーティストのうち半数ぐらいはパフォーマンスの作品という、僕がこれまで参加してきた展覧会とは少し趣の異なる企画で新鮮でした。

そういう展覧会だったこともあって、単なる作品の展示ではなく、村田峰紀くんという友人のパフォーマンスアーティストと一緒にパフォーマンスを行いました。村田くんは今回の展覧会の企画者の一人でもあります。きちんと作品としてパフォーマンスを行うのは初めてでした。ただし、パフォーマンスといっても、僕が行ったのは、ギャラリーのバックヤードにあったいろいろなもの(バケツや脚立や箱など)に小さなハンマーのような装置をつけてコツンコツンと定期的に叩いて音がなるようにしておいたものを、薄暗がりの中、お客さんのいる空間に配置していき、並び替えたり、音の周期を変えたりするといったもので、これまでのインスタレーションの延長のようなものでした。

もともと人前に出ることが苦手なので、以前は自分がそういうことをやってみたいと考えたこともありませんでしたが、これには2016年から一年間滞在したワルシャワでの体験が影響しています。

ワルシャワでは受け入れ先になってもらったミロスワフ・バウカというアーティストが教えている大学のゼミに生徒として週に一度参加させてもらっていたのですが、そこがプロジェクトやパフォーマンスを主とする実技のクラスで、そういった表現方法に触れる機会に恵まれました。テーマが与えられて1週間後に何か準備してきて作品やパフォーマンスでもなんでもいいからクラスの中で発表するといったちょっとした課題や、合宿のように地方都市にみんなで行って1週間ほど滞在し、その間にグループでプロジェクトを作るというイベントも数回ありました。自分の学生時代を考えてみると、彫刻専攻ということもあり、自分で決めたテーマに数ヶ月向き合い、半年に一度、合評の機会があるというような作り方でしたので(それはそれで、個人の思考を深めていくには良かったのですが)、それに比べると即興性や瞬発力に重きがおかれていて、その軽やかさには驚くものがありました。

また、ワルシャワのあるアートセンターが企画した数ヶ月にわたるワークショップにも参加させてもらっていたのですが、その中でもパフォーマンスのワークショップがいくつかありました。その中で特に印象に残っていることがあります。自分を含め7名ほどの若手アーティストがワークショップに参加していたのですが、ワークショップ終盤それぞれの考えたプロジェクト案を美術館の一室に展示し、その場で一般のお客さんにプレゼンするという機会がありました。僕は草花の匂いをテーマにしたプロジェクト案を発表予定でしたが、自分の順番の前、他の参加アーティストが発表中に、植物のエッセンシャルオイルを染み込ませた付箋を観客の服や鞄にそっと貼っていくというパフォーマンスを行いました。

本来なら、そんな不審者と思われるようなことは恥ずかしくて躊躇してしまう性格です。でも、外国人という立場であったことで、「あ、全然できる気がする」と思ったのでした。少し変わったことをしていても、目があっても、「外国人アーティストが何か変なことやっているな」で済むような気がしたのです。他者を他者として客観視するとともに、自分を自分から切り離して俯瞰的に捉えられていた気がします。

海外滞在中に、しまったままになっていた日本のお金を久々に取り出してみると、あれ、これってなんだっけ、と少し不思議なものを見る気分になったことがあります。お金の価値、金額といった社会的な意味が抜けて、単に素材と形が見えてくる。ノートにメモを書いている時に日本語に対しても同様に、なんでこれで意味が通じるのだろう、と思ったこともあります。身近な当たり前のものが、当たり前でなくなると新鮮に見えてくる。究極に身近なものとして自分自身に対しても同様の感覚を覚えたのだと思います。

日常を生きていると、当然ですがどんどんその日常に慣れてきます。最近は引っ越しもせず、仕事も変化なくの平凡な毎日なので、だいぶ鈍感になってしまっている気もするのですが、幸い季節が変わると空気や景色が変わってくれるので、せめてそういう時期には敏感に変化を感じる感性を保っていたいなと思います。

今村遼佑