往復書簡14

展覧会も終わってしまい、今村さんにお会いすることも少なくなってしまったので、ずいぶん久しぶりな感じがしています。

会期中にお越しいただいた方から、「感覚の果ては、見つかりましたか? 果てまで行けましたか?」などの質問を受けて、「まだまだですね。どこかでもう少し続けて果てまで行ってみたいです」などと答えていたのを思い出しました。

さて、今村さんは人前に出ることが苦手だったんですね。トークの時に少し聞いていたようには思うのですが、そういうことだったんですね。誰もが照れ隠しのように言っているぐらいのことだと思っていました。でも、この苦手意識をくつがえす経験としてワルシャワでの体験が影響していたとは知りませんでした。

ここでぼくも海外での滞在経験を持ちだして何か書ければちょうどいいのですが、あいにく海外での長期滞在の経験がありません。サンフランシスコ、サンディエゴ、カンボジア、香港、ソウル、上海などと行ってはいるのですがいずれも1週間以内で、展覧会とワークショップだけをこなして帰って来るようなことでした。旅行に行ったようなものなので、他の国に長く滞在して自分の生まれ育ったところを捉え直すというような経験がありません。だから、

身近な当たり前のものが、当たり前でなくなると新鮮に見えてくる。究極に身近なものとして自分自身に対しても同様の感覚を覚えたのだと思います。

というような経験がないわけです。残念です。

ですが、あえてここで書けることとして、身近な当たり前のものを自分の身体だとすると、その身体で起こっている感覚の変容についてはいくつも経験してきました。10歳で失明したこと。40歳前半に脳梗塞で右半身まひを経験し、1カ月の入院と2か月ほどのリハビリで鍼が持てるようになったこと。2019年には、摘出したはずの右目の奥に偽腫瘍が発見され、ないはずの眼球の痛みを経験したこと。それらは、再生とか復活の体験となっています。

そして今、10日ほど前から鎮痛剤を3種類飲みながら身体の疼痛と同居する生活が始まってしまいました。鎮痛剤は、痛みを鈍らせるだけではなく、いろんな感覚に影響してきますね。ぼくが特に痛みに弱いということもあるのですが、平衡感覚にも作用して、酒を飲みすぎたときのようなふらふら感があります。実際ふらついていて周りの人からもだいじょうぶですかと言われてしまいます。酒を飲んだふらふら感を心地よいと思っているのではなく、同時に多幸感も味わっているから二日酔いもまあ許せるのだと気付きました(笑)

エコーロケーションの感覚も鈍っているので、まちを歩くのにも影響があります。

とりあえずは、鎮痛剤が効いている内に二人ぐらいの患者さんの鍼治療をしながら日常生活を送っています。ジワジワと効いてくる鎮痛剤。効き始めと終わりがはっきりしている鎮痛剤。意識が急激に落ちていくような鎮痛剤を味わいながら効果が定着し、自然治癒力があらわれるのを待っているところです。感覚を鈍らせてしまう鎮痛剤を飲みながら、敏感に変化を感じる感性を保っていくのは難しいことかもしれません。

光島貴之