往復書簡11

展覧会、無事オープンしましたね。始まったあとは気が抜けて文章書くのがだいぶ遅くなってしまいました、すみません…。

さて前回の僕の返事で、光島さんの雪道の話に対して、点字は雪原に似ているというのをまず書こうと思ったのに、他のことを書いているうちにすっかり忘れたままアップしてしまいました。光島さんにとっては、雪道は情報が覆い隠されてしまっている状態ですが、点字を読めない人にとって、点字は意味の隠された真っ白な雪の平原と同じだと思ったのでした。それは見えない人にとっての墨字が雪の平原でもあるのと同じで、その逆転のイメージが面白く思えました。今回の展覧会でリサーチ展示のキャプションを、墨字と点字の一枚の紙の中での併記にしていますが、そこにはそのような雪原のイメージもありました。

光島さんの「夜が重い」のイメージは「暗い」「黒い」から「重い」のイメージにつながっているのかもしれない、という話で、僕の言った夜は空気が軽いは光島さんも言うように星や月のイメージが関わっている部分もあるのかもしれませんね。あと、暗くなって視覚的な情報が少なくなるので、そのせいか、音や匂いに対する感覚が鋭くなったり、生活音が少なくなくて遠くの音が聞こえるといったこともあるので、昼より空気が澄んで感じるのかもしれません。曇り空も雨はどちらも空気は重たく感じますが、空が雲で覆われているので、より視覚からくるイメージが大きいのでしょうね。たまに遭遇するお天気雨なんかは、空からの光と雨のイメージが新鮮で、より空の抜けるような高さを感じてとても気持ち良いです。

反響定位(エコーロケーション)、自分にはそういう力はないと思っていましたが、今回のリサーチの中で、僕もアイマスクをして光島さんに街を案内してもらった時、店舗のひさしの下を通る時や、一階部分が奥まった車庫になっている家の前で音が変わるのを感じられて新たな発見でした。そういえば、高架下の狭い通路などに入れば、音の反響でなんとなくの狭さは感じるし、そこから外に出ればまた音も変化するのを感じるので、そんな極端な例でいえばエコーロケーションの能力も多少は備わっているのだなと思いました。アトリエみつしまの1階ギャラリーに暗幕を張られていて音が吸収されて、「とっても明るい」と感じたというのは面白い感覚だと思います。僕自身は反響の少ない空間を明るい暗いで感じたことがなくて、他の人にも聞いてみたいところです。あるいは、見えない人には一般的な感覚なのかも気になります。でも前に話したこともあるかもしれませんが、映画館や劇場の音の無い空間は好きです。少し耳を圧迫されるような感じがあって、それが反響の無さから来るのか、空間の空気の気密性からくるのか分からないのですが、その独特な感覚からくる非日常性と、経験や記憶によってこれから何か始まる気分になるので、そういう空間に入るととてもワクワクします。

音と色の結びつきはありますか?というご質問ですが、残念ながら僕にはそういうものはないです。でも、もっと単純な話ですが、音に関して記憶や感情の結びつきはよくある方かもしれません。セミの鳴き声とか時計の音とか、それは別に僕に限ったことではなく普通のことだと思いますが、僕は作品をつくる上でそういう物事とイメージの結びつきを大切にしてきたように思います。今回のトイピアノの作品もそうですね。

彫刻に関してですが、確かに彫刻専攻を出ているのですが(改めて客観的にみると少し不思議な気がします。)、行った大学が美術科として入学して専攻は二年生の後期から選択するというシステムだった上に、僕は少しイレギュラーで初めは油絵専攻に行き、三年生後期から彫刻に転専攻したので、学生の時もその後も単に美術をやっているという意識があるだけで、彫刻をやっているという意識はほぼないんです。

今回はほぼ光島さんの話にお返事するだけになりましたが、次回タイプライターの話も楽しみにしています。

今村遼佑