往復書簡23
今村さんへ、
BUGの展示にもお越しいただきありがとうございました。
実は、最近体調が悪くて鍼の仕事もお休みさせていただいています。どうやら左の腎臓がダメになってきていて8月に摘出の手術をします。右だけで持ちこたえられればいいのですが、右の腎臓もかなり萎縮しているらしく透析を始めなければならないかもしれません。7月に入ってからは、体がだるくて思うような動きができない状態が続いています。
今は、手術までにもう少し体力を付けておかなければと思ってあせっているところです。今日は、期日前投票に行ってきました。新町の北区役所までなのでバス停一つ分ぐらいです。往復何とか歩けたのでほっとしています。
最近は、投票所に普段使っている点字機を持ちこんでもいいということになっていると聞いたので、愛用の携帯定規と点筆を持参しました。ところがいつもと少し変わっていたところがありました。選挙区で候補者の名前を書く用紙が、薄っぺらいのです。墨字用と間違えてないかも確認したのですが、これでだいじょうぶとのこと。表裏を表す表示もありませんでした。それで紙を挟んで打ち始めるのですが、粘りのあるコピー用紙の感じで点を打ったときのぽつっという手応えがないのです。打ち終わって間違いがないか読んでみたらちゃんと打ててました。
次は比例代表です。この用紙は、いつもの点字用紙(ケント紙110kg)を裁断したもので表裏も点字で確認できました。何となく安心して書いてみたらやっぱり打ったときの手応えがちゃんとあって、ぽつっという音もありました。こんなに違うものなんですね。
昨日は、親戚の家庭菜園で収穫した万願寺とうがらしで佃煮を作るということでぼくは、その軸をちぎったり縦半分に切って種を取るとか、適当な大きさに切るなどの下ごしらえを手伝いました。
ちょうど手のリハビリになったかと喜んでいます。それにしてもかたちやサイズがそれぞれ違う万願寺とうがらしはおもしろいですね。
さらに昨夜、アマゾンのセールを見つけたので、思い切ってApple Watchの型落ちを買いました。まだ届いていないのですが楽しみです。何が楽しみかというと時間を触覚で教えてくれる機能です。もちろん音声でも教えてくれるのですが、震動で時間がわかるようです。今、左手は、透析に備えてシャントの手術をしたので時計や、手を締め付けるものが装着できないのです。なので右手にApple Watchというスタイルもいいのではと楽しみにしているのです。
と、ここまで書いてくるとぼくは、やっぱり触覚とは縁が切れないことがわかりますね。点字を打つときの触覚と音。万願寺とうがらしの種をかき出すときの指の動きと種が崩壊する感じ。これらは伊藤亜紗さんとのお話で指摘されていた動く触覚そのものかと思います。
で、ここまで書いてきてやっと今村さんの車を運転させてもらった時の話にたどり着きました。とてもおもしろい体験でした。もちろんスピード狂のぼくとしては、もっとアクセルを踏みたいという誘惑を押しとどめるのは大変でした(笑)
しかし、車が動き始める感じ。ブレーキで止まる感じ。あたりまえといえばそれまでなのですが、からだ全体が自分の操作で動きがコントロールできるのがおもしろい体験でした。ダンボールに当たる感じや、角材を乗りこえる感じも自分が操作することで伝わってくる感じとして受けとめました。
あれからしばらくは、市バスに乗ってもブレーキのかけ方、止まるときの感じがやたらと気になりました。AIの進歩で自動運転が定着すれば、見えなくても運転ができるのではというような話がありますが、それはちょっと違っていて、自分の動きに伴った操作でないと運転したという満足感は味わえないだろうと思いました。
もちろんこの運転も動く触覚ですね。よくよく考えてみるとぼくが歩く時にいろいろ感じておもしろいと思っているのと車の運転も同じようなことなんだろうと思います。特にこの頃は、歩くことそのものがしんどくなっている状態ですが、なおのことぼくをとりまく感覚は鋭敏になってきているようにも思います。
と書いたもののほんとうに鋭敏な感覚になっているかどうかは怪しいもので、こうでも書かないと次に進めないかもという不安に追いかけられての悪あがきかもしれません。
とりあえずは、ストレッチャーに乗せられて手術室に移動する感覚を味わってきます。