往復書簡19「木の心地よさを味わう」
今村さんへ、
11日は、とてもさわやかで鳥の声も土道の足音もいい感じで録音できていて満足しています。以前のコンデジでは録音はできているもののモノラルで納得できるものではありませんでした。
さて、ぼくは木をさわるという提案には賛成したもののあまり積極的ではありませんでした。なぜかというと、これまで木をさわるときには、おそるおそる手を動かしていたからです。木肌が剥がれてきて物体を壊してしまうのではないかという不安に駆られたり、彫刻のようなかたちのおもしろさを感じられなかったからです。
まず今村さんにさわりごたえのありそうな木を探してもらうところから始まりましたね。ちょうど美術館に行って、多くの作品の中から対話鑑賞をする絵を見つけるような感じだったと思います。1本目で驚いたのは、幹にしっかりコケが生えているところとそうでないところがクッキリ分かれていたことでした。そして根がしっかり張っていて地面からも盛り上がっていることでした。自分でラインテープを使って描く絵には必ず根っこをかなり強調して描いていましたが、そんなしっかりした木のイメージを思いうかべました。
木をさわっている間にどうもこれは彫刻をさわる時の手の動きではダメなんじゃないかと思い始めたのです。ブロンズなどをさわるときの指の動きは、点字を読むような動きと似ています。指先中心で表面を滑らせていくのです。時々手のひらも交えて全体の手ざわりを確認しながら進めます。ですが、だんだん手を動かしているうちにこのような動きで木をさわるのには無理があると思い始めました。指や手を滑らせると木肌に引っかかってめくれたりして指が思うように進まないのです。それで少し指を浮かしたりトントン叩くようにして指や手のひらを進めるとなかなかいい感じなのです。指で木の表面を歩いている感じと言った方がいいかもしれませんね。だんだん楽しくなってきました。
そうなんです。最近アトリエみつしまでやっている企画展「まなざしのモメント」に出品してもらっている石原友明さんの石に点字を鋲で打ち込んだ作品があるのですが、それをさわるのがとても心地よいのです。それでさわるということには情報を得るだけではなく、心地よさを求めてもいいのではないかと思い始めていたから余計そんなことを思いついたのかもしれません。
作品を見るときの手は、できるだけ客観的な情報収集のためのアンテナでなければと思っていたわけです。もう何十年もそう思い続けてきました。そろそろここらで心地よさを感じる手に変身してもいい頃かもしれません(笑)
今村さんは、眼で見るときの心地よさはどんな感じですか。見ていて心地よいものがあれば教えてください。ぼくは、少し見えていたときに太陽の光がまぶしくてイヤだったという記憶しかないように思います。
ところで今村さんは、車だけではなく、自転車にも乗っているんですね。ぼくは残念ながら自転車には乗れません。自転車の後ろに立つぐらいはできたはずです。弟の自転車の後ろに乗せてもらっていたらパトカーのサイレンが鳴り始めたのを思いだしました。
スケボーも気持ちよさそうです。ぼくにも乗れるかな。とにかく外の風や音を感じながら動くのがいいですね。
光島貴之